先ず位置関係ですが、シベリアはロシアのウラル山脈以東、太平洋に至るまでの広大な土地を指します。シベリアの語源はオビ川流域のシビル・ハン国に由来します。
ですから狭義のシベリアは上の地図の「西シベリア」にあたる地域だと考えることも出来ます。
さて、本村真澄(タイトルをど忘れしたけど、素晴らしい本を書いている人)の研究によればロシアの石油開発はバクーから始まって、だんだん東進しているのだそうです。
バクー地方
ロシアの石油産業は1860年頃、カスピ海のバクーで始まりました。バクーは拝火教(ゾロアスター教)の発祥の地です。つまり、昔から自然に地表に噴出した天然ガスがフレアー(炎)となって燃え続いていたわけです。このバクーの石油を本格的に開発したのはダイナマイトを発明した「ノーベル賞」のアルフレッド・ノーベルの兄弟であるロベルトとルートヴィッヒ・ノーベルです。彼らは油田の買収を進めるのみでなく、パイプラインの敷設やタンカーの考案など、現在の石油のビジネスの基礎となるさまざまなイノベーションの先駆者となりました。彼らのほかにもロスチャイルドや現在のロイヤル・ダッチ・シェルの前身であるマーカス・サミュエルのサミュエル商会などがバクーで活躍しました。しかし、日露戦争での敗北を契機としてロシアの帝政が揺らぎ始め、バクーでも労働争議が頻発しました。その後、第一次大戦でバクーの油田はドイツなど列強の南方進出のターゲットになるなど、政情不安の状況が続きます。結局、1917年にロシア革命が勃発し、バクーの油田もソヴィエト政府に接収されました。現在はバクーの石油はほぼ掘り尽くされており、生産拠点としての重要性は無くなっています。
さて、バクーのあるアゼルバイジャン地方はもともとロシアの領土ではなく、ピョートル大帝の南進などによってロシアが奪った土地です。それまではロシアとアゼルバイジャンのトルコ系民族との力関係は往々にしてトルコ系民族の方が強く、ロシアはこの「南の暴れん坊」の存在に悩まされ続けてきました。そういう歴史的な経緯もあってカスピ海地方とロシアとの絆は弱いものであったと言えるでしょう。それに加えてバクーはドイツなどの列強の領土的野心の対象になってきたので、ロシアとしてはバクー以外の油田開発の必要を感じてきました。そこで開発の対象となったのがヴォルガ・ウラル地域です。
ヴォルガ・ウラル地方
ヴォルガ・ウラル地域の開発は第二次世界大戦前に計画されたのですが、実際に大規模な探索・開発が始まったのは戦後からです。1948年にロマシキンスコエ油田が掘り当てられ、これがヴォルガ・ウラル地域の主力油田となります。このロマシキンスコエ油田は今でもタトネフチ(TNT)の主力油田として生産を続けています。なお、このロマシキンスコエ油田のある地方はトルコ系ロシア人の住むタタール共和国に位置しています。従って、地図上ではしっかりとロシアの内陸に収まっているのですが、民族的にはロシア人とは一線を画しており、政治的背景は複雑です。なお、ロマシキンスコエ油田から取れる石油は硫黄分が多く、特別な精製処理施設が必要です。既に50年以上操業している油田ですので設備は老朽化しており、現在の生産ペースを維持するのが精一杯という状況です。ただ、ロマシキンスコエ油田の可採年数は32年と言われており、これはロシアの油田の中でも最高の部類に入ります。この他、ヴォルガ・ウラル地方を拠点とする石油会社にはバシネフチがあります。なお、タトネフチ、バシネフチなどの地域密着型の石油会社はその性格からしてヴォルガ・ウラル地方に活動の拠点を限定されており、そういう意味では将来性は限られていると言えます。
西シベリア地方
現在ロシアの産油地帯の中で生産量的にも埋蔵量的にも最も重要なのが西シベリア地方です。おおまかに言えばロシアの石油の約7割はこの地域に存在します。西シベリア地方の開発は1950年代半ばから行なわれてきました。中でも現在、TNK-BPの所有するサモトロール油田の発見が西シベリア地方の存在の重要性を決定付けるイベントでした。今でこそサモトロール油田は含水量94%と可採寿命末期の様相を呈していますが、西シベリアにはこれ以外にも10余りの大油田が存在します。なお、天然ガスに関しても西シベリアは重要な地域で、ウレンゴイスコエ、ヤンブルグスコエ、ボヴァネンコフスコエなどの超大型ガス田が存在します。ロシアの今後の油田、ガス田開発において、引き続き西シベリアが最も重要な地位を占めることは確実です。
その他の地方
比較的新しい開発ターゲットとしてはルクオイルが注力しているティマン・ペチョラ地域ならびにカザフスタン領内の北カスピ海地域が有望視されています。サハリンの開発は日本では関心が高いですが、ロシア全体から見れば優先順位は低い気がします。同じく東シベリア地方もインフラなどの点で「鶏が先か卵が先か?」の問題があり、本格的なスタートは切れていません。
ですから狭義のシベリアは上の地図の「西シベリア」にあたる地域だと考えることも出来ます。
さて、本村真澄(タイトルをど忘れしたけど、素晴らしい本を書いている人)の研究によればロシアの石油開発はバクーから始まって、だんだん東進しているのだそうです。
バクー地方
ロシアの石油産業は1860年頃、カスピ海のバクーで始まりました。バクーは拝火教(ゾロアスター教)の発祥の地です。つまり、昔から自然に地表に噴出した天然ガスがフレアー(炎)となって燃え続いていたわけです。このバクーの石油を本格的に開発したのはダイナマイトを発明した「ノーベル賞」のアルフレッド・ノーベルの兄弟であるロベルトとルートヴィッヒ・ノーベルです。彼らは油田の買収を進めるのみでなく、パイプラインの敷設やタンカーの考案など、現在の石油のビジネスの基礎となるさまざまなイノベーションの先駆者となりました。彼らのほかにもロスチャイルドや現在のロイヤル・ダッチ・シェルの前身であるマーカス・サミュエルのサミュエル商会などがバクーで活躍しました。しかし、日露戦争での敗北を契機としてロシアの帝政が揺らぎ始め、バクーでも労働争議が頻発しました。その後、第一次大戦でバクーの油田はドイツなど列強の南方進出のターゲットになるなど、政情不安の状況が続きます。結局、1917年にロシア革命が勃発し、バクーの油田もソヴィエト政府に接収されました。現在はバクーの石油はほぼ掘り尽くされており、生産拠点としての重要性は無くなっています。
さて、バクーのあるアゼルバイジャン地方はもともとロシアの領土ではなく、ピョートル大帝の南進などによってロシアが奪った土地です。それまではロシアとアゼルバイジャンのトルコ系民族との力関係は往々にしてトルコ系民族の方が強く、ロシアはこの「南の暴れん坊」の存在に悩まされ続けてきました。そういう歴史的な経緯もあってカスピ海地方とロシアとの絆は弱いものであったと言えるでしょう。それに加えてバクーはドイツなどの列強の領土的野心の対象になってきたので、ロシアとしてはバクー以外の油田開発の必要を感じてきました。そこで開発の対象となったのがヴォルガ・ウラル地域です。
ヴォルガ・ウラル地方
ヴォルガ・ウラル地域の開発は第二次世界大戦前に計画されたのですが、実際に大規模な探索・開発が始まったのは戦後からです。1948年にロマシキンスコエ油田が掘り当てられ、これがヴォルガ・ウラル地域の主力油田となります。このロマシキンスコエ油田は今でもタトネフチ(TNT)の主力油田として生産を続けています。なお、このロマシキンスコエ油田のある地方はトルコ系ロシア人の住むタタール共和国に位置しています。従って、地図上ではしっかりとロシアの内陸に収まっているのですが、民族的にはロシア人とは一線を画しており、政治的背景は複雑です。なお、ロマシキンスコエ油田から取れる石油は硫黄分が多く、特別な精製処理施設が必要です。既に50年以上操業している油田ですので設備は老朽化しており、現在の生産ペースを維持するのが精一杯という状況です。ただ、ロマシキンスコエ油田の可採年数は32年と言われており、これはロシアの油田の中でも最高の部類に入ります。この他、ヴォルガ・ウラル地方を拠点とする石油会社にはバシネフチがあります。なお、タトネフチ、バシネフチなどの地域密着型の石油会社はその性格からしてヴォルガ・ウラル地方に活動の拠点を限定されており、そういう意味では将来性は限られていると言えます。
西シベリア地方
現在ロシアの産油地帯の中で生産量的にも埋蔵量的にも最も重要なのが西シベリア地方です。おおまかに言えばロシアの石油の約7割はこの地域に存在します。西シベリア地方の開発は1950年代半ばから行なわれてきました。中でも現在、TNK-BPの所有するサモトロール油田の発見が西シベリア地方の存在の重要性を決定付けるイベントでした。今でこそサモトロール油田は含水量94%と可採寿命末期の様相を呈していますが、西シベリアにはこれ以外にも10余りの大油田が存在します。なお、天然ガスに関しても西シベリアは重要な地域で、ウレンゴイスコエ、ヤンブルグスコエ、ボヴァネンコフスコエなどの超大型ガス田が存在します。ロシアの今後の油田、ガス田開発において、引き続き西シベリアが最も重要な地位を占めることは確実です。
その他の地方
比較的新しい開発ターゲットとしてはルクオイルが注力しているティマン・ペチョラ地域ならびにカザフスタン領内の北カスピ海地域が有望視されています。サハリンの開発は日本では関心が高いですが、ロシア全体から見れば優先順位は低い気がします。同じく東シベリア地方もインフラなどの点で「鶏が先か卵が先か?」の問題があり、本格的なスタートは切れていません。
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