ブラジルの政治
ブラジルは1891年には既に米国の合衆国憲法に倣った憲法を持ち、民主主義を実施していました。しかし、その後の同国のデモクラシーの歩みは順調とは言えません。例えば1964年4月からはほぼ20年にわたる軍事政権が続きましたし、民政に戻った後、最初に公選により大統領に就任したコロル大統領は2年あまりで汚職疑惑で降板しました。しかし、カルドソ政権以降はブラジルの政治は安定度を増しており、民主主義もしっかり根付いてきた観があります。
コロネリズモ
ブラジルのデモクラシーへの道のりが平坦で無かった理由として、同国固有の国民性、社会の発展の経緯などが指摘されています。その代表的なものはコロネリズモでしょう。コロネリズモ(coronelismo)とは大地主などの地元有力者が政治の実権を握ることを指します。ブラジルでは伝統的に地元有力者が農民や労働者からの支持と引き換えに公共工事を地元に引っ張ってきたり、地方の役職に支持者を優先的に任命するなどということが行なわれてきました。これが大土地所有制と結びつくことによりブラジルのデモクラシーを歪めてきました。最近では都市への人口流出により地方との結びつきが疎遠なブラジル人が増えました。その影響でコロネリズモは弱まりつつあります。しかし汚職体質というのはこんにちのブラジルの政界にも根強く残っており、汚職疑惑が投資家の心理を逆撫でするという局面は最近でもしばしば見られます。
ポピュリズモ
貧困層の人気取りを目指した政治のことをポピュリズモ(populismo)と呼びます。ポピュリズモは何もブラジルに限ったことではありません。事実、最近はラテン・アメリカ諸国全体にポピュリズモの風潮が強まっています。このトレンドを作ったのはベネズエラのウゴ・チャべス大統領です。チャべス大統領は石油輸出から得られる収入を貧困層にばら撒く政策で低所得者層の歓心を買っています。その行為自体の是非は簡単には白黒決し難い面もありますが、貧富の差をなくすという美辞麗句の裏で民主主義の後退や腐敗の進行を心配する声もあります。また、米国やEUが提唱してきた自由貿易の振興という価値観に真っ向から反対する風潮も出てきています。
ポピュリズモ流行の背景
そうしたトレンドの背景にはラテン・アメリカ諸国の多くが過去15年近くにも渡ってIMFなどの提唱する経済政策(これを「ワシントン・コンセンサス」と呼びます)に従って経済運営してきたのにもかかわらず、経済が余り良くならなかった点が指摘されます。実際、ブラジルとメキシコの場合、1940年から1980年までの平均GDP成長率は約6%でしたが、1980年から2000年までの平均はその半分にも満たなかったのです。また、ラテン・アメリカ諸国は世界でも最も富の不平等が激しい地域です。そのため、富はもとより雇用機会や社会的な発言力などの点でもごく一部の特権階級にそれらのパワーが集中しており、それが選挙の時に必然的に数の上では圧倒的多数派である大衆寄り、ないしは左寄りの姿勢を打ち出さないと選挙に勝てないという状況を生むのです。ラテン・アメリカ諸国は昔から「ご近所さん」に影響されやすいという傾向があります。従ってべネズエラで人気を博したチャべス大統領のポピュリズモは今、ボリビアなどの近隣諸国に広がっています。特にボリビアのモラレス新大統領は就任早々、資源企業の国有化や外資の締め出し政策などを打ち出し、国際機関投資家を震撼させました。
ブラジルの左派
ポピュリズモはブラジルにも伝統的に存在してきました。また、ブラジルのルラ大統領は労働者党の党首ですから当然貧困層の味方です。しかしこと最近のポピュリズモの流行との絡みで言えば「ブラジルをその他のラテン・アメリカ諸国のポピュリズモと一緒にしないで欲しい」という感じで一線を画しています。つまり貧困層には同情的な政府ではありますが、「国家予算の健全性を損ねる政策や民主主義の後退を招くような政策には走らない」という気概が感じられます。このへんのニュアンスの違いを整理すると下のようになります。
【ブラジルとチリの左派の特色】
主に旧ソ連をロール・モデルとしている。改革的、進歩的、開かれた経済を目指している。
【ベネズエラ、ボリビアの左派の特色】
キューバをロール・モデルとしている。国粋主義的、地域孤立主義的であり、閉じた経済ブロックを目指している。
ブラジルやチリの左派はソ連をロール・モデルとしました。勿論、今やソ連は存在しないわけですからこれらの国はソ連の失敗の教訓に学び、ちょうどフランスなどに見られるようなバランス感覚のある左派勢力が主流となっています。この反面、ベネズエラやボリビアはフィデル・カストロのキューバ革命に触発された面が大きいので反米的な傾向が顕著なわけです。
ブラジル株式市場と大統領選挙
2010年はブラジルにとって大統領選挙の年です。ブラジルでは大統領選挙のある年は「厄年」です。というのも過去4回大統領選挙のあった年はブラジルの株式市場はいずれも春先に天井を打ち、その後、高値から4割とか5割近い下落を見ているからです。これは投資家が不確実性を嫌うことが原因です。しかし、もう少し丁寧にその原因を分析すると、折角、IMF主導のワシントン・コンセンサスに基づいた経済政策を政府が採用しているのに、「選挙で新しく当選した候補者がそのコミットメントを反故にしたらどうしよう?」という事を欧米の投資家が極端に恐れているのが原因だと考えられます。実際、現大統領であるルラが当選した時は彼の支持母体が労働者党であるということからブラジルの政治が左寄りに急転回することを投資家は大変心配しました。結果的にはルラ大統領はカルドソ政権の敷いた手堅い経済政策を注意深く踏襲しました。
このシリーズは2006年7月に楽天証券の『ADRを利用したBRICs投資』に掲載された過去記事を一部手直しし、再録したものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿