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2009年10月4日日曜日

投資と投機の違いについて

僕が証券会社に入って間もない頃、日本の証券界はイメージ向上に躍起になっていました。

(思えば、日本の証券界が長いスランプの道をころがり落ちはじめるのと、このジェントリフィケーションの風潮の盛り上がりとはタイミングが一致しています。これは偶然なのでしょうか?)

その頃、ギョーカイの人たちが飛びついたアイデアが「投資は良くて、投機は悪い」というコンセプトです。

これにはいろいろな屁理屈の付け方があり、詭弁を弄する余地には事欠きません。

例えば「長期投資は産業にリスクマネーを供給する役割を担う」なんてのがその典型です。
僕はたまたまドットコム・ブームのたけなわの時代に、とりわけディールの案件数の多い会社に勤めた関係上、日本人の誰よりもIPOの現場に産婆として立ち会いました。

その経験から言わして貰うとIPOに群がった投資家たちの大半はフリッパーと言って貰った玉をすぐ売り抜けることを目的とした投機家であり、そこで繰り広げられた光景を「投資は高級で、投機は下劣だ」という切り口から説明するのは不可能であるばかりでなく、滑稽ですらあります。

いい加減、止めませんか?「投資は良くて、投機は悪い」なんて全く根拠の無い水かけ論をするのは。

投資と投機を使い分けようとする人は多くの場合、投資期間(デュレーション)をひとつの峻別の基準にしていると思うけど、それじゃどこまでが投機でどこまでが投資なのか?という線引きはあいまいです。

若し「投機は悪い」と決め付けてしまえばアービトラージは出来なくなるし、価格差に訂正が入らなければ効率的市場仮説も成り立たなくなります。そうなればインデックスによるパッシブ運用もマーケティングの際の根拠を失うし、当然、ETFなんてのも機能しなくなります。

証券会社の店内に滞留するいろいろな証券の在庫のベロシティーという観点から判断すれば、例えばゴールドマン・サックスは投資銀行ではなく、投機銀行ということになってしまいます。

「危機」という漢字を分解すると:

危=リスク
機=チャンス

となり、リスクとチャンスは背中合わせであることは昔からよく知られていることです。
投機を蔑む風潮はリスクマネーの供給能力の減退をもたらし、残念ながらそれが調達市場としての日本の証券市場を弱体化させ、ひいてはそれが日本企業が世界で戦って行く上での条件を不利にしています。日本の証券界のリーダーは早く惰眠から覚めてほしいと思います。

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