1989年だったと思うけど当時僕が勤めていた投資銀行の石油株のアナリストが「ソ連の原油生産がおかしなことになっている」というレポートを書きました。3枚くらいの薄っぺらいレポートで営業隊からのウケは悪かったです。
「なんだ、あのジュニア・アナリストは!ソ連のレポートなんか書いたって手数料にならないだろう!」
当時はロシアではなく、未だソビエト連邦だったので、当然、株式市場も無いし、だいいちアメリカにとって「敵国」であるソ連の石油事情など、ハッキリ言ってどうでもいいと思う人が大半だったのです。でもこのレポートは日経新聞の記者の目にも止まってアナリストのメアリーは日経から取材を受け、小さな記事になりました。
それからほどなく、ソ連はあれよあれよという間に自壊したのです。
なぜソ連邦が急速に求心力を失ったかというと衛星諸国にエネルギーを無償で提供することでつなぎとめていたので、「金の切れ目が縁の切れ目」よろしく石油が滞ったら一斉にみんな離れて行ったのです。
ではそもそも何故ソ連の石油生産が上のグラフに見るように激減したのか?という問題ですが、これはソ連のアフガニスタン侵攻の失敗が関係していると思います。アフガニスタン侵攻は(いまアメリカも手を焼いていますが)近隣のアゼルバイジャンなどの市民の心をソ連から離れさせました。
アゼルバイジャンは石油の「発祥の地」であるバクーを含んでおり、ノーベル兄弟の時代から発達したいろいろな石油付帯産業、つまりオイルフィールド・サービス業のメッカだったのです。ここはその戦略的な重要性から第二次世界大戦のとき、ヒトラーがどうしても盗りたかった町でもあります。一番上の絵はドイツ軍が攻めてくることに備えて塹壕掘りに駆り出されたバクーの市民たちです。結局、ヒトラーの侵攻はスターリングラードの激戦で食い止められ、バクー征服の野望は挫かれるのですが、この町の重要性を語るエピソードだと思います。
さて、ソ連がアフガニスタン侵攻に失敗するとアゼルバイジャンで独立運動が起き、油田のメンテナンスのための交換部品などが出荷できなくなります。ソ連の油田は最初は摩耗した古い部品をだましだまし使っていたのですが、とうとう掘削の機械が次々に止まってグラフで見るように石油の生産は激減します。
1989年の時点でソ連の経済規模は世界第2位(PPPベース)でした。
それが「あっ」という間に困窮化し、ソ連の国民は塗炭の苦しみを味わったのです。もちろん、「あれは計画経済の失敗だ!」とかそういう議論はされ尽くしています。僕も基本的にその考え方に異存はありません。
でも強調しても強調し切れない重要な点は、ある国の得意中の得意分野がおかしくなったとき、それを軽視すべきではないということです。
で、最近、日本の友人から一冊の本が届きました。『日本「半導体」敗戦』(湯之上隆)です。まだ読みかけですけど、日頃僕が感じていた(最近、見かけないよな、日本製品、、、、)という懸念を確認し、なぜ日本の半導体業界が地盤沈下を起こしてしまったのかを現場のレベルで克明に記録した良書だと思いました。
(日本とソ連を一緒にしないで欲しい!)
まあ、たいていの皆さんはそう思うでしょう。
でもソ連の人もプライドが高かったですよ。1989年当時は。
パン屋の前に行列が出来始めた頃にはそのプライドは吹き飛びましたけど。
1 件のコメント:
読んでいて気になったのですが、踏み上げさんは近い将来(1~10年以内か?)に日本で物価の桁が1つや2つ変わるようなインフレや、為替レートの桁が1つ2つ変わるような下落が起きるとお考えなのですか?
一応長期停滞が10年単位で続いているために、その間の劣化によっていつか破局が起きる可能性はゼロとは言い切れないとはこちらでも言われたりはしますけど・・・・・
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