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2008年12月29日月曜日

1933年のウォール・ストリート(その3)


4月18日にルーズベルトはホワイトハウスで閣議を開いた。その議題は来る国際金融経済会議に備えるための準備ということだった。ハル国務長官、ウッディン財務長官、「全能の神」モーリー、そして金融界からはダグラス、ウォーバーグ、ファイスらが召集を受けた。ところが会議が始まってみるとルーズベルト大統領が閣議招集した意図は別のところにあることがわかった。大統領はモーリーにトーマス・アメンドメント(=農業調整法案)が下院を通過するように工作するよう指示した。そして集まった閣僚たちに向き直ると「わが国は金本位制から降りることにした」と宣言した。そして「この仕事はチョッと褒めてもらえるに値するとは思わないかい?」と言った。

閣僚たちはルーズベルトを称えるどころかこの「爆弾発言」に驚いた。金融界のアドバイザー達はルーズベルトに「そんなに軽々しく国家の通貨の健全性を危険に晒すような真似をしてはいけない」と延々2時間に渡ってインフレの怖さを講義する羽目になった。最後にはドイツで1923年に起きたハイパー・インフレーションの例を持ち出して経済が大混乱に陥りかねないことを指摘した。アドバイザー達はドイツの労働者の昼飯代が一日で60万マルクから次の日には150万マルクに暴騰した例などを懇々と説明した。ルーズベルトは閣僚たちの狼狽振りを見て内心愉快になったが、閣僚達にはクールに振る舞い、金本位制離脱の考えに揺るぎは無いことを示した。その夜、閣議からの帰り道でダグラスはウォーバーグに「これで西欧文明もオシマイだ」と嘆いた。

ひとたびアメリカが金本位制度を離脱すると発表されたらニューヨーク株式市場の反応はすさまじかった。マーケットは荒っぽい立会いの中を急に値を切り上げて行ったのである。これはある意味、理屈に適っている。なぜならドルの価値が安くなるわけだから、減価する紙幣を避け、なるべく早く別の資産にシフトする必要が出るからだ。それにしても奇異だったのはウォール街からは純粋な経済理論の見地からの金本位制離脱に対する反対や危惧の声はぜんぜん聞かれなかった点である。ウィギンスやミッチェルといった大物のバンカー達は長年の恐慌と金融パニックで完全に自信喪失しており、沈黙を守った。

さらにも驚いたことに『ウォール街23番地』が「私は大統領の取った金本位制離脱の決断を支持する」という署名入りの声明を出した。もちろん『ウォール街23番地』とはJ・ピアポント・モルガンのことである。

「『ウォール街23番地』からのご神託が下ったぞ!」

これにより金本位制離脱の正当性は即座に受け入れられた。

こうしてドルは「投機の対象」に成り下がった。ルーズベルトの金本位制離脱宣言の直後、ドルは88 1/2セントに下落し、6月までには83セントにまで下がった。肝心の国内の穀物価格については若干価格が上昇した。これを見て農家は安堵した。

しかしイギリスとフランスの通貨当局はショックを受けた。英国はドル安が世界の貿易を鈍化させることを懸念した。フランスはアメリカの後を追って金本位制を離脱することは避けられないと考えた。ルーズベルトの最大の関心事は内政、それも農業部門であり、国際協調など二の次にしか考えていなかった。そうは言うものの、6月12日から7月23日までの予定で既に日取りが決まっていたロンドンのケンジントン地質学博物館における国際金融経済会議(上の諷刺画参照)をすっぽかすことだけは思いとどまった。

(『Once in Golconda』 John Brooks Chapter Seven: Gold Standard on the Booze P154 – 157)

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