きょうは議会で大事な議論がありました。
それはマーク・トゥ・マーケット会計の是非を巡る議論です。
マーク・トゥ・マーケット会計とは乱暴に言えば「実際に直近の取引があった値段を妥当価格として保有資産の評価を計上する会計方式」です。
これとよく比較される会計の考え方にマーク・トゥ・モデル会計というのがあります。
マーク・トゥ・モデルというのは「保有している資産がその資産の保有期間を通じて生み出すであろう価値を理論的に計算して、現在の妥当な評価を案分して簿価を割り出す会計方式」という風に言えると思います。具体的にはディスカウント・キャッシュフロー・モデルなどを援用した会計方式です。
マーク・トゥ・マーケット会計が良いのか、それともマーク・トゥ・モデル会計が良いのか?
一見、些細なことのようですけど、この判断ひとつでアメリカの大銀行の多くが「実質的に破たん」しているか、いないかの分かれ目になる、決定的な重要性を持っています。
マーク・トゥ・マーケット会計の良さは誰の目にも明らかです。なぜなら直近の実勢価格を基準にするというのであれば帳簿をつける人間の恣意性が入る余地が少なく、その分、透明な「明朗会計」になるからです。
一方、マーク・トゥ・モデル会計は資産の価値を決める人間の条件の設定の仕方によってかなり妥当価格の結果が変わってきてしまいます。
「そんなの、自分の都合の良いようにすれば、どんなマンガだって描けてしまうんじゃないの?」
投資家のマーク・トゥ・モデル会計への不信はそんなところから出ているのです。
しかし、、、
マーク・トゥ・マーケット会計が常にフェアで正しい価値を捉えているか?というのは結構、難しい問題です。
実はDoblogの「同窓生」で、この道では最高権威だと僕が日頃思っているブロガーの方のお話を聞く機会が昨日たまたまありました。
僕:「マーク・トゥ・マーケット会計の議論ってのは難解ですね。」
彼:「たとえばね、銀行なんかの場合、本来、満期まで持ちにするつもりで提供したローンを無理やり時価でマークするというのはおかしな話でしょ?」
僕:「なるほど、それぞれの金融商品を提供した際のもともとの意図について考えてみることも大事なんですね。」
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つまり言い方は不正確かもしれませんが、もともとトレーディング(=頻繁な売り買い)するつもりで購入した証券はマーク・トゥ・マーケット会計で値洗いされるべきだけど、そもそも転売する気がぜんぜん無い証券まで無理やり値洗いするというのは、行き過ぎだという見方もあるわけです。
金融危機下で最近執り行われた実際の直近の取引というのは本来、「この水準で売りたい」という気がサラサラない金融機関が背に腹は代えられず無理やり売らされた値段であり、また買い手も「俺、厭だよ、こんな証券を引き受けるの」と思いながら無理に買わされている取引が多いわけです。
すると売り手も買い手もイヤイヤやっている取引で無理につけられた値段が、そもそも信頼に足る値段なのか?ということにも思いを巡らせてみる必要があるわけです。
元SEC議長ハーヴェイ・ピットはこの件について次のようにコメントしています:
「売り手(=銀行)の意図が満期までの保有にあるのなら、それが本当に満期まで持てる体力があるのか?というのを勘案した上でマーク・トゥ・モデル会計を許し、同時にディスクロージャーによって透明性を確保するというのが筋であり、何が何でも全部時価で損金計上するというのはぶち壊しだ。」
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さて、昨日のNYマーケットですがティム・ガイトナー財務長官は「投資家の信頼を損なうような性急なことをしないようにすることがたいせつだ。マーク・トゥ・マーケット会計をどうするかを決めるのはSECの特権だ。」とコメントしました。
たったこれだけのニュアンスで相場は急騰したわけです。しかし上の議論を読んで頂ければ、なぜこの控え目な発言がこれだけの起爆力を持っていたかがおわかり頂けると思います。
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