イランの「ツイッター革命」が新しい局面を迎えています。それはラフサンジャニ前大統領の家族が(一時的にせよ)バシジ兵に拘束されたからです。LAの親戚などの話からいまのイランの状況をまとめてみました。
今回の騒動はイランの大統領選挙の開票作業にごまかしがあったのではないか?という疑惑がもともとの発端です。
でもイランの大統領はアメリカの大統領などと違って権限は限られています。本当に権力を持っているのは最高指導者です。
だから今回の選挙のアフマディネジャド候補、ムサビ候補とも、事前にハメネイ最高指導者によってスクリーニングされた候補でした。その意味では誰が当選しても良かったのです。
ところが選挙が公平でなかったということで改革派が騒ぎ出したので、最高指導者としては身辺が慌ただしくなりました。
ハメネイ最高指導者は選挙の結果を肯定することでアフマディネジャドを支持する立場を打ち出しています。これは最も自然な対応です。
しかしアフマディネジャドのクレディビリティー(信用)が失墜した場合、ハメネイ最高指導者の威信も急落する危険性が高まります。
もともとハメネイ最高指導者は聖職者の間では「リーダーとしての修業を極めていない」として反発も多く、不安定な支持基盤しかありませんでした。それで革命防衛隊などの出身者を重用することで影響力を補いました。
アフマディネジャドは聖職界とは余りつながりの無い人なのでやはりハメネイ最高指導者同様、革命防衛隊とのつながりを強化することでサバイバルを図りました。
これに対してムサビ候補はアヤトラ・ホメイニ師にとても近かったのでハメネイ最高指導者を快く思わない聖職者には自ずと共感者が多いです。
ムサビ候補は昔、首相を務めたわけですが、ヒズボラに代表されるイランの中東における影響力の伸長のためのいろいろな画策をした人で、必ずしも真の意味での改革派ではありません。ただ時代の流れがより大衆の民意に基づいた政治や社会の構築を必要としており、ひろく産業を興し、雇用機会を創出するには世界と上手く付き合っていかないとバラマキ政策だけでは駄目だと感じ始めていました。
大統領選挙後、いざデモがおきてみるとちょうどロシアでクーデターがおきたとき、ボリス・エリツィンが戦車の上によじ登って演説したように、どんどんちからが湧いてきて「怖いものなし」の人間に豹変したわけです。
ラフサンジャニ前大統領は経験の面、ホメイニ師の愛弟子だったという威光の面、イランの将来をどうすべきかというビジョンの面でやはり抜きんでた人物です。
これらを整理するとイランの改革派のデモは「どうしてもムサビじゃないといけない」というよりは「今の体制そのものに問題がある」という問題提起の色彩が強く、政教分離が出来ていないイランの支配システムの上層部では既存の秩序が崩れることを恐れている、、、そういう構図が浮かび上がってきます。
ここで大事なのは革命防衛隊の存在であり、既存勢力が自分の立場を守ろうとすると軍政に移行するという危険性もあるのです。
3 件のコメント:
踏み上げ太郎さま
ご無沙汰しております(といってもいつも見せていただいておりますが・・・)
いつも貴重な情報をありがとうございます
ところで、前回といい今回といい、イラン人のテクノロジーに対する民度が高いというのは、全くの初耳でした。 私自身が中東にいたため、そしてバハレーンとサウジとUAEぐらいしか知らないため、かえってそれが偏見につながるのだなぁと、とても勉強になった次第です。
>もともとイランという国は民度が高く、スタンフォード大学の教授によれば「世界で人口当たりのブロガーの数がいちばん多い国」なのだそうです。だからツイッターやフェイスブックや携帯のテキスト・メッセージを使いこなせる国民は多いのです。<=ブログ言語としては、日本語が一番多いとの記事を見たことがありますが・・・
Charlieさん
コメントありがとうございます。
テヘランに光ファイバーがガンガン敷設されたのはここ3年くらいだと思います。ノキア・シーメンスがワイヤー・スピードのDPF(ディープ・パケット・フィルター)技術を提供していてアメリカで叩かれています。
携帯を使いこなせるのは今では誰でも若い人ならOKじゃないですか?
僕も本拠がクウェートでしたのでCharlieさんと同様の偏見を持っていました。でもサウジやクウェートはベドウィンのような遊牧の民が主体だし、支配ファミリーは教養が無くても務まりますが、イランは親戚のショーン君によるとぜんぜんそれじゃ駄目なんだそうです。
彼とのつながりでLAのイラン人コミュニティーの人たちと何人か知り合いになりましたけど、(自分とは格の違う人たちだな)と思い、文学とか教養とかのたしなみの面で強いコンプレックスを感じました。
踏み上げ太郎さま
ご丁寧にありがとうございます。
教養の深さ・・・・といえば、イラン映画って人をひきつけるところがあるのは、”人間”を描いているから・・・
human being をよくわかっている国民なのでしょうかね
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