上の写真は最初のウォークマンです。最初のウォークマンが開発された背景に関しては日本製デジタル製品を紹介するサイト「やっぱり日本製」にすばらしい記事があります。そこで「にっぽんはじめて物語 世界に挑戦した日本製品の誕生秘話 ウォークマンTPS-L2」という記事を引用させて頂きます。
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きっかけは名誉会長のリクエスト
世界を席巻した「ウォークマン」の誕生にはさまざまなストーリーが流布しているが、ソニー創立50周年記念誌『源流』によれば、ウォークマンは当時名誉会長だった井深大の要望から誕生した。ソニーは昭和55(1978)年に、教科書サイズの小型ステレオ録音機「TC|D5」を登場させていたが、携帯するにはまだ重く、値段も10万前後と高価だった。井深はこれにヘッドホンを付けたものを海外出張に持って行っては、飛行機の中で音楽を聴いていたが、その重さには閉口。「プレスマンに再生だけでいいからステレオ回路を入れたのを作ってくれんかな」と社内の技術者に持ちかけた。「プレスマン」とは、昭和54(1977)年に発売していたモノラルタ イプの、手のひらに乗るくらい小さなテープレコーダーである。要望を受けたテープレコーダー事業部では、早速プレスマンから録音機能を取り去り、ステレオで音を聴けるように改造し、ヘッドホンを取り付けた改造品を作り上げた。これがウォークマンの原形である。
歩きながら聴けるステレオ
井深はすっかりこれを気に入って、大きなヘッドフォンをつけたまま盛田昭夫(当時会長)の部屋に持って行くと、「これ聴いてみてくれんかな。歩きながら聴けるステレオのカセットプレーヤーがあったらいいと思うんだが」と盛田に言った。試しに聴いてみた盛田も同じ意見だった。「確かにスピーカーで聴くのとは違った良さがある。しかも持ち運びができて、自分一人で聴ける。これはひょっとすると……」。盛田のビジネスの勘が働いていた。
井深はすっかりこれを気に入って、大きなヘッドフォンをつけたまま盛田昭夫(当時会長)の部屋に持って行くと、「これ聴いてみてくれんかな。歩きながら聴けるステレオのカセットプレーヤーがあったらいいと思うんだが」と盛田に言った。試しに聴いてみた盛田も同じ意見だった。「確かにスピーカーで聴くのとは違った良さがある。しかも持ち運びができて、自分一人で聴ける。これはひょっとすると……」。盛田のビジネスの勘が働いていた。
最初は反対されたウォークマン
昭和56(1979)年7月、プレスマンを改造したウォークマン第1号は井深と盛田の絶大なる支持を得て発売された。しかしウォークマンの発売には、井深と盛田以外の大半が難色を示していた。録音機能のないものが売れるのか、というのがその意見。それに対して盛田は、「自分の首をかけてもやる決意だ」とまで言ったという。当時70歳を過ぎていた井深と60歳に近かった盛田。この二人の、自分の年齢や、過去の偉業にとらわれることのない、好奇心に満ちあふれた感性がウォークマンというヒット商品を生み出したのだ。ところでウォークマンというネーミングは、若いスタッフのアイデアであった。当時スーパーマンが流行していたことと、基になった機種がプレスマンだったことから思いついたという。屋外に持ち出して、歩きながら楽しむという意味も含まれていた。
昭和56(1979)年7月、プレスマンを改造したウォークマン第1号は井深と盛田の絶大なる支持を得て発売された。しかしウォークマンの発売には、井深と盛田以外の大半が難色を示していた。録音機能のないものが売れるのか、というのがその意見。それに対して盛田は、「自分の首をかけてもやる決意だ」とまで言ったという。当時70歳を過ぎていた井深と60歳に近かった盛田。この二人の、自分の年齢や、過去の偉業にとらわれることのない、好奇心に満ちあふれた感性がウォークマンというヒット商品を生み出したのだ。ところでウォークマンというネーミングは、若いスタッフのアイデアであった。当時スーパーマンが流行していたことと、基になった機種がプレスマンだったことから思いついたという。屋外に持ち出して、歩きながら楽しむという意味も含まれていた。
「ウォークマン」は正しい英語として認定
しかし、ウォークマンは和製英語である。そこで海外の販売会社は、このネーミングを使いたくないと言ってきた。そしてアメリカでは「サウンドアバウト」、イギリスでは「ストウアウエイ」、オーストラリアでは「フリースタイル」という名前を付けて売り出してしまうのだ。しかし、日本でのウォークマンの人気が高まり、来日した外国人がおみやげとして買っていくようになると、いつしかウォークマンのネーミングは海外でも認知されるようになっていった。そこで盛田は「こうなったら世界中でウォークマンという名称を使おう」と決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになる。そして1986年にはイギリスの権威ある英語辞典『Oxford English Dictionary』にも「ウォークマン」は掲載され、正しい英語として認定されるまでになった。
しかし、ウォークマンは和製英語である。そこで海外の販売会社は、このネーミングを使いたくないと言ってきた。そしてアメリカでは「サウンドアバウト」、イギリスでは「ストウアウエイ」、オーストラリアでは「フリースタイル」という名前を付けて売り出してしまうのだ。しかし、日本でのウォークマンの人気が高まり、来日した外国人がおみやげとして買っていくようになると、いつしかウォークマンのネーミングは海外でも認知されるようになっていった。そこで盛田は「こうなったら世界中でウォークマンという名称を使おう」と決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになる。そして1986年にはイギリスの権威ある英語辞典『Oxford English Dictionary』にも「ウォークマン」は掲載され、正しい英語として認定されるまでになった。
(引用おわり)
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さて、このウォークマン誕生のエピソードはハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授が提唱した、ディスラプティブ技術(=既成秩序を打破するような新技術や商品のこと)そのものです。
クリステンセンの展開する議論の中に「ロー・エンド・ディスラプション」という考え方があります。これは既存の顧客がいまある商品やサービスの全ての機能性や便宜を必要とせず、「いいとこ取り」で「この部分だけでいいから、ソノ分、安くして欲しい」というニーズがあるときに発生します。
往々にしてそういう「ロー・エンド」商品はビジネスにとって最もうま味の無い、「相手にしても儲からない」層をターゲットにします。なぜこの層がターゲットにならざるを得ないか?と言えば、その顧客層はとりわけ廉価ということにこだわり、good enough、つまり「これで十分じゃん?」という消費態度を持っているからです。
マーケット・リーダー企業はそういう「安物買い」の顧客を馬鹿にし、最も上得意の顧客へのサービスをどんどん充実させてゆくことに企業としての活路を見出そうとするのです。
しかしマーケット・リーダー企業のそういう努力は往々にして不必要なアクセサリーが満載された高級車みたいな商品提案に帰結してしまい、最後には顧客のお財布の届かない、完璧だけど「贅沢過ぎる」存在になってしまうのです。
その一方でバッサリと不要なものを削ぎ落とし、ピンポイントのニーズだけに応えた「ディスラプティブ商品」は上のグラフのように最初は一番低廉な価格層から参入するのですが、新しい技術を駆使してどんどんスケール・アップし、最後には大手を喰うところまでゆくのです。
往々にしてそういう「ロー・エンド」商品はビジネスにとって最もうま味の無い、「相手にしても儲からない」層をターゲットにします。なぜこの層がターゲットにならざるを得ないか?と言えば、その顧客層はとりわけ廉価ということにこだわり、good enough、つまり「これで十分じゃん?」という消費態度を持っているからです。
マーケット・リーダー企業はそういう「安物買い」の顧客を馬鹿にし、最も上得意の顧客へのサービスをどんどん充実させてゆくことに企業としての活路を見出そうとするのです。
しかしマーケット・リーダー企業のそういう努力は往々にして不必要なアクセサリーが満載された高級車みたいな商品提案に帰結してしまい、最後には顧客のお財布の届かない、完璧だけど「贅沢過ぎる」存在になってしまうのです。
その一方でバッサリと不要なものを削ぎ落とし、ピンポイントのニーズだけに応えた「ディスラプティブ商品」は上のグラフのように最初は一番低廉な価格層から参入するのですが、新しい技術を駆使してどんどんスケール・アップし、最後には大手を喰うところまでゆくのです。
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ETFとCFDは金融界のディスラプティブ技術だ
さて、最近の世界の金融界を見ていると機関投資家向けのサービスでは「これは」と思うようなイノベーションは久しく登場していません。最近の欧米投資銀行の凋落を全てサブプライム問題やレバレッジのせいにする風潮がありますが、そもそもイノベーションが無さ過ぎるのが問題だと僕は思っています。
機関投資家向けサービス市場での「お寒い状況」に比べて個人投資家向け金融サービスは素晴らしいイノベーションがどんどん登場しています。
その第一番目はETF(エクスチェンジ・トレーデッド・ファンズ)です。ここで大事なのはETFを軌道に乗せた貢献者はバークレイズ・グローバル・インベスターズやステート・ストリートなど、どちらかといえばウォール街ではステータスの低かった(今は違いますけど)企業だという点です。
バークレイズ・グローバル・インベスターズやステート・ストリートがウォール街では尊敬されない存在だった理由は彼らのルーツが所謂、パッシブ運用、つまりインデックスを機械的になぞる、システム運用の会社だったからです。彼らは「大部分の投資家はファンドマネージャーの腕になんか期待していない。マーケットの上昇に参加できる機会(=これを難しい言葉ではベータと言います)さえ廉価に提供できれば良いのだ」という価値観をもっていました。
その価値観は「相場の腕が良いファンド・マネージャーには、それなりの報酬があって当然だ」とする既存の職業的投資家から大きな反発がありました。そういう「旧人類」型の運用会社の典型は、長年、売買手数料支払額でトップを走ってきたアライアンス・キャピタル(=現在のアライアンス・バーンスタイン)でした。彼らは「歯を食いしばってでも証券会社に沢山手数料を落とす」ことを会社の方針としていました。
わざわざ取引コストを増やしてしまうという、一見、マイナスになることにアライアンスが励んだ理由はウォール街の上得意のお客さんになることでインフォメーション・アドバンテージを勝ち取ろうとしたからに他なりません。しかし1990年代後半に施行されたフェア・ディスクロージャー規定により、コノ手の「早耳情報」的な価値観は全くの幻想に過ぎなくなってしまったのです。
バークレイズやステート・ストリートがETFに力を入れた理由は運用コストをどんどん下げるという事を極限まで追求すると、従来のミューチャル・ファンドでは駄目で、ETFにならざるを得ないからです。従来の投資信託だとインデックスをなぞるトラッキング・エラーを極小化するためには絶えず資金の流入、流出にあわせて場で株を売ったり、買ったりしないといけません。これだと売買手数料がかかります。また社内でポートフォリオ管理事務の費用が発生します。
ところがETFならば既に誰かの信託口座に眠っているポートフォリオ・バスケットをファンドへの需要の増減に合わせて現物供与で持ち込み、ないし持ち出しする、「帳簿上での付け替え」で済むのです。しかも調整機能(=アービトラージ作業)は指定参加者が担当するわけで、ポートフォリオ管理事務の一部を「外部化」できるのです。だからETFの方がコストが安くなるのです。
しかもファンドの販売という面からすればETFは12b-1などの販売員への報酬が無い分だけ圧倒的に割安です。
いまアメリカでは従来型の投資信託(=オープン型投信)はぜんぜん売れていません。いや、それどころかどんどん解約の嵐になっています。これを見て「NYの相場が安い元凶は投信の解約にアリ」式の議論をする人が居ますけど、それは事実誤認です。なぜなら従来型投資信託がどんどん運用資産を減らしている一方で新しいタイプの投資信託、つまりETFの運用資産はガンガン増えているからです。
実際、セリディアンやモルガン・スタンレーなどの調査によると2010年ないしは2011年までにはETFの資産額は180兆円程度に達すると試算されています。いま、アメリカのMMFの総資産額が216兆円ですからこれに迫る勢いなのです。MMFが今日の規模になるまでには20年かかりましたが、ETFはその倍のペースで運用資産を増やしているという言い方をすればイメージが沸きやすいかも知れません。
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もうひとつの個人投資家向け金融サービスにおける大きなイノベーションはCFD取引です。この商品も今は黎明期ですがいずれウォークマンやETF同様、BIGになります。
CFDの商品性に関しては「いまのところニッチ商品である」ことは以前の記事で説明しました。しかし逆説的な言い方になるかも知れませんが、証拠金率を引き上げる、別の言い方をすればレバレッジ比率を引き下げるだけでより長期投資に向いた、より大きなターゲット顧客を視野に入れた商品に「衣替え」することが出来るのがCFDの商品設計上の特徴なのです。
僕の考えでは今でこそCFD取引は一部の先鋭的なデイトレーダーだけに支持されている商品に過ぎませんが、先に述べたようなレバレッジのダイヤル・ダウン(つまみの調整)による、より幅広いユーザー層の獲得の試みが2009年くらいから始まってもおかしくない気がしています。
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PS
ETFについては『ETFひろば』もご覧下さい。
CFDについては未だ独立のブログは作っていません。CFDとは一体何なのか?知らない人が多いと思うので導入的なセミナーを1月早々開催します。無料かつ誰でも参加できますので奮ってご参加下さい。
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