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2009年5月30日土曜日

ペソ危機再訪














ロシアの株式市場がよく戻っています。
僕が3月にロシアに強気になったのは、ほぼ同様の事が1995年のメキシコ市場で起きたのを見てきたからです。
そこでペソ危機を振り返ってみたいと思います。まず一番上の写真の人はメキシコ南部、チアパス州で蜂起した反政府運動家「マルコス副司令官」です。覆面していますがもとは学校の先生だったのだそうです。このチアパスでの武装蜂起がペソ危機のきっかけになりました。

メキシコは1980年代の終わりにカルロス・サリナス大統領が登場し、経済改革に乗り出しました。これがNAFTA、つまり北米自由貿易協定へとつながり、ラテン・アメリカの投資ブームが起こったのです。
1990年代前半には数々のメキシコの株がアメリカに上場され、国際機関投資家の資金が流れ込みました。しかしそのような投資ブームは地方の貧しいメキシコ人には恩恵をもたらすことなく、格差は拡大しました。沢山の資金が限られた投資機会を追いかけた関係で投資リターンは漸減しました。そのような投資家が不安になりかかっているときに政情不安が襲ったのです。
メキシコはペソを支えようとしました。上から二番目のグラフは同国の外貨準備の推移を示したものですが94年を通じて外貨準備が減っていることがわかります。ちょうどこの冬のロシアの外貨準備激減を思い起こさせるグラフですね。
そして最後の12月にはとうとう準備が底を付いてデバリュエーション、つまり通貨の切り下げを余儀なくされたのです。

メキシコの中央銀行は金利を引き上げ、貨幣の供給を絞り込むことで投機を押さえ込もうとしました。三番目のグラフはメキシコのセテス・レートです。これもロシアの中銀が金融をキツメに誘導したのと同じですね。

さて、メキシコは防戦むなしく1994年12月20日にペソを支えきれなくなり、通貨の切り下げを容認します。それが四番目のグラフの赤で示したところです。私は当時のことをよく覚えているのですが、切り下げが発表された後メキシコの株式市場は売り物に押され、翌年の3月に安値をつけるのですが、そこからは逆に強烈な強気相場が始まったのです。これはどうしてでしょうか?

先ず通貨が安くなってしまえば輸出は息を吹き返します。またもうペソを支えないわけですから金利を吊り上げたり貨幣供給を絞り込んだりする必要は無いのです。それらのことは全て国内の景気にとってはプラス要因です。

実際、メキシコのGDPを見ると(最後のグラフ)通貨切り下げ後、鋭角的に景気が戻しているのがわかります。通貨を守ることを放棄すると国内景気は良くなるという理屈はどこの国でも変わらないのです。

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