昔まだ僕がNYの投資銀行に勤めていた頃の話をします。
1992年頃からニューヨーク市場ではラテンアメリカの株式ブームがありました。メキシコの電話会社、テルメックスがニューヨーク証券取引所の年間出来高首位に輝いたことからも当時のラテン・ブームが半端じゃなかったことを想像して頂けると思います。
そういうイケイケ・ムードの中で、各投資銀行ともラテンアメリカの株式調査、営業を強化すべくどんどん若手を採用しました。問題は当時のメキシコやアルゼンチンやブラジルにはまだニューヨークの投資銀行で即戦力になるような、国際金融に明るい人材は少なかったという点です。
急場しのぎで編成したラテンアメリカ調査部のアナリストは、メキシコの地場証券から引き抜いた、既に実績のあるひとりのアナリストを除いては全員新卒ないしは他業界からの転籍組。まず財務諸表の当たり方、レポートの書き方から指導しなければいけないという状況でした。
「ウォール街の水準」に達していなかったのは別にウチの調査部だけではありません。ラテンアメリカの証券業界そのものがとても未熟だったのです。だから例えばブラジル株の注文を現地のブローカーにつなぐと、受け渡しがことごとくDK(=Don't know、つまり未済のこと)します。昼間はサンパウロに電話して「はやく受け渡しつけてよ!」と怒鳴り、夜は調査部のフロアでメキシコやブラジルのことを教えてもらう代わりにプレゼンの仕方、レポートの体裁、古株のセールスマンにどうアプローチするかなどについてアドバイスをする、、、そんなことを毎日、繰り返していたのです。
ラテンの人は本来楽天的な人が多いのですが、生き馬の目を抜くウォール街の厳しさと、ひしひしと感じる自分たちの力不足とのギャップにみんな悩んでいました。アルゼンチンのエコノミストは「私がアルゼンチン人だから、みんな私のことを馬鹿にしているわ。人種的偏見は、もうこりごり」と言ってさめざめと泣きました。
そういう悲壮なムードの中で、ひとりだけどこ吹く風で能天気な奴が居ました。それがパトリシアです。パトリシアはパラグアイ生まれのブラジル育ち、大学はアリゾナにあるサンダーバードというビジネス・スクールです。彼女のデスクのところへ行くと香水の匂いがムッと立ち込めていて、おもわず頭がクラクラします。
僕:「あのさあ、気に障ったらごめんね。でも香水、ちょっと抑えた方がいいんじゃない?」
パトリシア:「アーっ、ごめんごめん、この匂い、嫌いだった?ねえねえ、それじゃこっちはどうかしら?」
そういうとバッグの中から次々に違う香水のボトルを出してデスクの上にならべます。
僕:「もういいよ。」
下っぱのアナリストはちょうど日本で言う「ITどかた」のようにシニア・アナリストにこき使われるのですが、いつかは自分も世界中を飛び回るシニア・アナリストに成り上がるチャンスを狙っています。
パトリシア:「ネ~ッ、営業連れてって!同伴していいでしょ?」
僕も日頃いろいろブラジルの事を教えてもらっている行きがかり上、むげに断ることもできません。そこでニューヨークの客に数件、当たってみました。
僕:「こんどアナリスト連れて行きたいんですけど。チョッとまだ駆け出しなのですが、、、上玉です。」
後日、客からの反応はセンセーショナルでした。
ファンドマネージャー:「あのさ、お前がこの前連れてきたアナリスト、凄かったな。まるでダイナマイトが炸裂したかと思ったぜ。それにしてもあのブラウスのVカットは深すぎるんじゃないの?気が散って何の銘柄の話だったかちっとも記憶に残っとらんぞ!それとあのハイヒール、、、ありゃいかんぜよ。」
僕:「はい。でも駄目なんです、何を言っても。相手はラテンですから。」
■ ■ ■
そんなパトリシアにもある日、デカいチャンスが回ってきました。ブラジルの或る老舗百貨店が公募増資をする案件を持ち込んできたのです。ロードショウの最終日はニューヨークのホテル、ザ・ピエールでのランチ・プレゼンテーションでした。大広間のテーブルは満席で、社長サンのプレゼンも無難にこなし、食事はメインコースからデザートに、ロードショウは最後の質疑応答の時間へと移ってゆきました。
(なんとか、、、無事成功だったな)
チョコレート・ケーキにフォークを入れながら、僕は安堵の気持ちに包まれました。
そのときです。あるファンドマネージャーが百貨店の社長サンに質問しました。
「御社の今年のキャッシュフローの予想はどうなっていますか?」
社長:「キャッシュフロー?、、、キャッシュフローか、、、」
そう言ったとたん、社長サンは深く考え込んでしまいました。
(やばい)
僕がそう思った瞬間、社長サンの口から出た言葉は:
「そ、それはだな、俺はわからん。主幹事証券のアナリストに聞いてみてくれ。ねえ、パトリシア、貴女のキャッシュフロー・モデルではどうなっているの?」
そう言って質問をパトリシアに振ったのです。質疑応答を半分上の空で、チョコレート・ケーキと格闘していたパトリシアは突然、落雷に打たれたように直立し、「アワ、アワ、アワ、、、」と口をパクパクさせますが、声がぜんぜん出ません。
パトリシア:「モ、、、モデルは、、、、会社に忘れてきた!」
そこで大広間宴会場は爆笑の渦に包まれました。
■ ■ ■
結局、このディールが値決めに漕ぎ着けたのか、それともキャンセルされたのか、今思い出そうとしてもその部分の記憶が真白で思い出せません。でも全体としてこのディールが不首尾に終わったことだけは確かです。
もちろんパトリシアのシニア・アナリストへの夢はこの一件で消えました。件のブラジルの百貨店は、、、何と当時より10倍以上の規模になっています。
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