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2009年4月5日日曜日

ダン・ケイス



昔からいつか適切な時期が来たとき、是非書きたいと思って温めてきた事柄があります。
それはダン・ケイスのことです。
ダン・ケイスは僕が昔、勤めていたH&Qという投資銀行のCEOだった人です。
彼は2002年に44歳の若さで脳腫瘍で他界しました。
彼が死んだとき、(これでシリコンバレーやハイテク株にはもうなにも未練は無いな)と思いました。
それ以来、兎に角、自分の記憶を封印し、全く新しいことをやりたい、、、そんな風に考えてきたのです。
ドットコム・バブルが弾けてこのかた、シリコンバレーにはこれといって見るべきものがありませんでした。長い冬の時代だったわけです。
しかし、その冬の時代がいよいよ終わり、新しい活動的な時代が始まる、、、そういう蠢動を最近は強く感じます。なぜそう感じるのかについては別の機会に譲りますが、ひとことで言えばデジタル・コンテンツの消費量がここへきて等比級数的に伸びはじめていることと、その消費のされ方が複数のプラットフォームやデータベースを横断的にストラドルする、極めて難易度の高い利用方法になりつつあり、それが将来のシリコン消費やデータベース・マネージメントに対する負荷を極限にまで増大させることを感じるからです。
話をダン・ケイスに戻します。
ダンはプリンストン大学からロード奨学金を受けてオックスフォードに進んだ秀才です。H&Qの創業者、ビル・ハンブレクトが母校の教授に「門下の生徒の中から、一番デキる奴を紹介してよ」と頼んだ結果、紹介されたのがダンでした。
ビル・ハンブレクト本人も極めて優れた企業発掘能力を持った経営者でした。彼の手がけた企業が世界最初のバイオテクノロジーのIPOであるジェネンテック、世界最初のパソコンのIPOであるアップル、世界最初のインターネットのIPOであるネットスケープなど錚々たる案件であったことからもビルが人並み外れた才能を持っていたことが察せられます。
しかしH&Qは引き受けた会社のひとつ、ミニスクライブが製品の納品が間に合わず段ボールにレンガを詰めて出荷してしまった事件で引き受け責任を問われ株主訴訟に敗訴して倒産の危機に瀕します。
このときビルは「ダンにやらせよう!」と決心し、H&Qの立て直しをまだ30代だったダンに任せます。
90年代の初頭にこのミニスクライブ事件の顛末を新聞で読んだ僕は当時担当していたアメリカの顧客に「H&Qというのはトンマな証券会社ですね」と幾人かに話しました。
「お前はバカだな。H&Qという会社がぜんぜんわかっていないな。おまえさんの勤める会社が潰れたっておれはぜんぜんヘッチャラだけど、H&Qが潰れるのは本当に惜しい!」異口同音にそう言われました。(当時ヘッジファンドを経営していたジム・クレーマーもそう僕に言ったひとりです。)
(これほど顧客に惜しまれる会社って、、、一体どんなところなんだろう?)
僕の好奇心というか、ジェラシーはかきたてられました。その日から、若し次に転職するならあの会社にしようと心に決めたのです。
H&Qに実際に転職し、ダンという人間に接してみて感心したことは、明らかに天才的に頭が切れる人なのに、そういうことはこれっぽっちも顧客や社員の前では出さないという点です。しかも幹部社員だけでなく、アシスタントや用務員のおじさんまで、会社の全員の名前をちゃんと覚えていて、アシスタントの女の子に対しても「どうすれば良くなると思う?」と一生懸命相手の意見を聞いていました。
クリスマスには奥さんのステーシーと2人の子供と一緒に撮った写真のクリスマス・カードが届きます。必ず「去年はどうもありがとう。ところでこの前話したあの件だけど、僕は未だ思案中だから、こんど一緒に話そう!」などという具体的なメッセージが自筆で書き添えられていました。
ダンが脳腫瘍に侵されていて、寿命はあと2年も無いということが判明したのはちょうどドットコム・バブルが弾けた頃でした。弟のスティーブ・ケイスはAOLの社長だったのですが、タイム・ワーナーとの合併の後、AOLタイム・ワーナーの株価が低迷した際、スティーブはAOLタイム・ワーナーから追い出されました。悪い時に悪いことが重なるというのはこのことです。
ダンは腫瘍を除去する大手術のために頭を丸坊主にしました。上の写真は彼が最後に出席した2002年のH&Qテクノロジー・カンファレンスで壇上で抱き合うケイス兄弟を写したものです。
闘病生活最後のダンは「アタマの神経が過敏で風が吹くだけでも痛いんだ」と言ってヨレヨレの柔らかい野球帽をかぶってトレーディング・フロアに現れるとすぐに社員の輪ができ、女子社員はうしろでシクシク泣いていました。
下のレターはそのダン・ケイスが97年のH&Qのアニュアル・レポートの中でリタイアするビル・ハンブレクトについて語ったものです:

ビル・ハンブレクトに関する個人的な思い出

1979年の夏にビル・ハンブレクトに雇われてH&Qの調査部で働き始めたのがビル・ハンブレクトと私の関係のはじまりである。

私はファイナンスの分野に興味がある一方で経営戦略にも関心があり、さらにアントレプレナー(起業家)達と仕事をしたいとも考えていた。まさかひとつの職場でそうした私の移り気な興味が全部満たされるとは想像すらしなかった。H&Qではそのような私の夢が全て同時に叶うとわかったときには痛快きわまりないと思った。だから仕事をやらされているという気はぜんぜんしなかった。

H&Qでは私はすぐにこれが私の天職だと直感した。これこそ私が帰属すべき唯一の組織であり、とにかく一生懸命良い仕事をして学びたいと思った。こうした私の体験は私だけのものではなく、H&Qに働く同僚の多くが持っていた共通の感情だと思う。その体験はきわめてパワフルで、自己形成に大きな影響を与えた。こうした共通認識はH&Qという組織が大きくなっても、また以前とは違った経営環境にわが社が置かれた場合も常にわが社が失うことのない精神だと思う。そしてこの精神はわが社の社員を通じて顧客に届いてほしいと思う。

ビルから私が学んだことは多い。そしてビルと仕事をすることを通じて出会えた数々の才能に満ちた人たちからも多くのことを学んだ。

「失敗を恐れてはいけない。失敗する恐怖に打ち克ったものだけが成功する自由を手に入れるのだ。」ビルはそう教えてくれた。

「アントレプレナーの精神を信じなさい。そして変化を恐れてはいけない。」こう私に教えてくれたのもビルだ。

「ディールの質は案件の規模では測れない。それからそのディールの真価は長い年月を経た後で振り返ったとき、はじめて誰の目にもあきらかになるのだ。」ビルはそう口癖のように説いた。

「人と違ったことをやるというのはアドバンテージだ。」「お前が信じた人間やこれはいけると思った新市場や企業にはアグレッシブに賭けろ。その代わりバランスシートには頑固なまでに保守的でないと駄目だ。」ビルはそうアドバイスした。

ビル・ハンブレクトは我々H&Qの社員にとって恩師であり、よき助言者であり、友人であり、そして生粋のインベスターだった。ビルがわが社をリタイアした後もこの関係が変わらないことを望む。

(ダン・ケイス 出典:1997年のH&Qアニュアル・レポート)

4 件のコメント:

Hiroshi さんのコメント...

今年から米系運用会社で働き始めたものです。この記事、僕にとってタイムリーなもので非常に感動しました。

まだ働き始めて間もないですが、僕も今の仕事が大好きです。

今日から決意を新たにできました。ありがとうございます

mon さんのコメント...

投資銀行で仕事をしたことのない私ですが、心の琴線に触れるお話でした。特にケイス兄弟が抱き合っている写真も印象的でした。

次回のシリコンバレーの勉強会楽しみにしています。

踏み上げ太郎 さんのコメント...

Hiroshiさん

コメントありがとうございます。
これから暫くバイサイドの経営環境も厳しいと思いますが頑張って下さい。冬の時代にどれだけ充電出来るかで後々差が出ると思います。

踏み上げ太郎 さんのコメント...

monさん

コメントありがとうございます。
ダン・ケイスは未だAOLがアタリのオンライン・ゲーム事業部だった頃にベンチャー・キャピタルとして出資しました。

ところがぜんぜん芽が出ず、P&Gに居た弟のスティーブに「お前、ひとつやってみてくれ」と頼んで社長にしたのです。

そんな関係でスティーブとダンは常にとても仲の良い兄弟でした。

スティーブはダンが死んだあと、アリゾナのミラベルというライフ・ヒーリングのスパに投資し、こころの治癒の関係の仕事をしています。