☆ ☆ ☆

2009年6月17日水曜日

テヘランはなぜ内側から崩れたか?

大統領選挙の開票以降、イランの首都テヘランは騒然とした雰囲気に包まれています。その様子を世界は息を詰めて見守っているわけですが、とりわけ危機感を持っているのはサウジアラビアやクウェートの支配層です。なぜなら今回テヘランで起きたことは将来リヤドやクウェート・シティで起きてもぜんぜん不思議では無いからです。

今回のイランの騒乱は1979年のイラン革命のときとは根本的に背景が異なります。当時の状況はその性格からしてむしろ植民地からの独立運動などに近いものでした。

もともとイランの石油はBPによってずっと牛耳られてきました。そして民主的な選挙によって大統領に選ばれたモサデクがそれを国有化しようとしたとき、CIAがモサデク政権を転覆し、親米的なパーレビを傀儡政権として据えたのです。イランはパーレビの下でどんどん近代化、西洋化し、一時は数万人にものぼるアメリカ人がイランに暮らしていたし、逆にイランからアメリカへ留学する学生の数も世界のどの国からの学生よりも多かったのです。

しかしBPは石油から上がる利益の6割以上を海外に送金し、しかもどれだけ利益が上がっているのかの帳簿の開示をする義務はイラン政府に対してはありませんでした。そういう実質的に英国や米国の植民地のような状態の下でどんどんイスラムの教義とは相容れない西洋流の文化にイランが侵されてゆくのをイランの知識人や聖職者は快く思っていなかったのです。

はじめはテヘランのアメリカ大使館で座り込みのデモをするつもりだった学生たちが勢いに乗って大使館員たちを人質にしてしまい、テヘランは騒然となります。パーレビは国外に逃げ、アヤトラ・ホメイニが亡命先のパリからイランに戻りイランは石油を国有化、アメリカは米銀などに預金してあったイランの預金を封鎖、押収し、国交を断絶します。

つまり79年のイスラム革命は外国という敵がハッキリ存在し、それを排除するという明快な動機があったのです。

その後、イランはアメリカなどから経済封鎖に遭い、外国に石油を売れなくなります。困窮して政治が動揺した隙を狙ってイラクがイランの油田地帯を占領し、イラン・イラク戦争がはじまったわけです。西欧諸国はサダム・フセインのイラクに肩入れし、最新鋭の武器や化学兵器をどんどん供与します。その一方でイランへは武器のサプライを絶ち、その結果、イランは少年兵による人海戦術で応戦し、南部の沼沢地帯で多大な戦死者を出します。

こうした歴史的経緯がイランとアメリカの仲を悪いものにしたわけです。さらにブッシュ政権はイランを「悪の枢軸」と呼んで敵視しました。従って、イランの国内では「いつアメリカやイスラエルからミサイル攻撃を受けてもおかしくない」という緊張感が常にありました。

しかし最近のイランを巡る世界情勢はずいぶん変わりました。先ずサダム・フセインが居なくなりました。またオバマ政権はブッシュ政権とはガラッと変わって対話路線を強調しています。オバマのカイロでの演説を見たイラン人は「アメリカがイランにミサイルを撃ち込むという話はどうやらイランの為政者が広めている嘘に違いない」と感じ始めます。

イランには高い教育を受けた国民も沢山いるし、その歴史的な経緯からアメリカで教育を受けたり、外の世界を知っている国民も多いです。ツイッターもあればユーチューブもあります。また近年は女性がどんどん社会進出しており大学生の6割から7割は女性だと言われています。とにかく若年層の人口が多く、しかも教育熱心な社会なのでどんどん質の高い労働力が労働市場に溢れます。それで必然的に失業率が高くなる、、、。

「アフマディネジャドのドグマ的な喋り方でイランの国民は世界の笑い物になっている」
「なんとか普通に世界とビジネスしたり交流しりする社会を築きたい」

今回の選挙の争点は国民のリテラシーの向上に対して、古色蒼然たる政治の支配システムがついてゆけなくなった、その齟齬にありました。つまり「ツイッター革命」なのです。当然、ロクサナ・サベリの事件も、オバマのカイロでの演説も、今回のテヘランの事件に直接影響を与えた出来事です。なぜならそれらの出来事の後でムサビへの支持率が急伸したからです。

0 件のコメント: